「“ふたり”をやるなら、やっぱ6人でだよなあ〜」SixTONES 8thシングル「ふたり」MV感想

11月2日に発売したSixTONESの8thシングル「Good Luck!/ふたり」。両A面のうちの一曲「ふたり」は、京本大我主演ドラマ『束の間の一花』の主題歌である。

『束の間の一花』は、余命宣告を受けた大学生・一花(藤原さくら)が、かつて大学の哲学講師だった萬木(京本大我)と再会するが、萬木も余命宣告を受けており…というストーリー。お互いにいつ終わりを迎えるかわからない暮らしの中で、相手の大切さを自覚していく恋愛ドラマだ。

 

両A面のうちのもう一曲「Good Luck!」とは打って変わって、「ふたり」はSixTONESの6人が切ない相手への想いをしっとりと爽やかに歌い上げていて、聞き応えのある一曲になっている。

MV監督は櫻坂46のMVやTVCMをはじめ、各方面で活躍してきた映像ディレクターの加藤ヒデジン氏。SixTONESの楽曲で言うと、アルバム収録曲「Lifetime」MVの監督も務めている。リッチな映像の質感と、落ち着いているけどどこか非日常的な世界感、まとまりのある構成が印象的な作品だった。


www.youtube.com

 

今回の「ふたり」もとにかく映像の質感が素晴らしく、こだわりの短編映画を見ている気持ちになれるのが、まずとても良かった。


www.youtube.com

 

そして、今回のMVはちょっとしたストーリー仕立てになっており、メンバー6人がそれぞれのシチュエーションで「今はもう会えない人」へ想いを馳せる映像をつなぎ合わせている。ラストでバラバラだった6人が勢揃いするシーンにはファンとして心を動かされずにいられないが、まずは一人一人のシチュエーションについて見ていこうと思う。

 

青空の下、屋上で選択紐に干された大量の洗濯物と共に風に吹かれるジェシー。洗濯物を干しているポニーテールの女性を横から捉えた姿が一瞬映る。

窓辺から差し込む光と降り注ぐ花びらを見つめる京本大我。傍らの花瓶にはひまわりが活けられており、その向こうやカーテンの影に散らつくショートヘアの女性。

バスルーム、濡れたままバスタブに浸かる気だるげな表情の田中樹。鏡に映る、お互いを求めるような手と手。

窓から西日が差し込む机と椅子のある部屋で猫と戯れる松村北斗。後ろから近づくスカートを履いた足元。

太陽の下、海辺に停めたバイクに腰掛けて風に吹かれる髙地優吾。遠い誰かを見つめているようなその表情の先には……場面が切り替わりキャミソールの女性が映る。

ソファに腰掛け、映写機で映し出した映像を微笑みながら見つめる森本慎太郎。時折、部屋の中を優しい表情で見回す。フラッシュバックする、映写機に自分の手を映して遊ぶ誰かの姿。

 

と……そんな感じで、読んでもらうとわかるように、それぞれのソロシーンの中には彼らが回想する「誰か」の姿も直接的に映し出されていて、ストーリーとして比較的わかりやすい作りになっている。

余命わずかの二人が恋に落ちる『束の間の一花』を意識した内容になっていることは明白。しっかりストーリーのあるMVを期待していたので、それはいいんだが……。

どうしても、相手が「女性」で彼らの想いは「異性愛」であると限定しているのがもったいないと感じてしまった。6人中4人の相手は女性であることがはっきり示される。

樹の相手に関しては、YouTubeに上がっているMVの中で映っているのは相手の手だけだが、シングルCDの特典DVDに収録されているソロバージョンのMVを見ると、相手が女性とわかるカットがある。

慎太郎の相手の姿は、YouTubeのMVでもソロバージョンでも、映っているのはシルエットや手のみではっきりとは出てこないが、明確に「異性の恋人」でないと読み解ける描写もない。

 

そもそもこの「ふたり」という曲の音源が公開された時点で、恋愛ソングとしては割とオーソドックスな歌詞だけど、登場人物を異性に限定しないところが好ましい曲だなと思っていたのである。たとえばサビの部分。

ただ向き合って 泣き合って

抱き合って わたしの名を

何回も何回も 呼んでくれたね

止まない雨の中 見えない星の下

ずっとわたしを信じてくれたね

 

向き合って 泣き合って

抱き合って あなたの名を

何回も何回も 呼んでもいいかな?

儚い光がほら 消えないように

歩いて行こう 

ずっと ふたりのまま

一人称が「わたし」なのでパッと聞きは女性視点の曲に思えるが、二人称が「あなた」という割とニュートラルなものであるのに加え、「守る」などのジェンダーロール(男女の性役割)を連想させる言葉はないし、相手や自分を「男」「女」と限定する描写もない。

何よりこの歌詞に出てくる二人のコミュニケーションはとても相互的で、「わたしの名を呼ぶあなた」と「あなたの名を呼ぶわたし」が同時に存在する。「○○合って」という言葉が頻出するのも同様に、対等で相互的なコミュニケーションを想像させる。これはいわゆる一般的なジェンダーロールに則った「異性愛」「ヘテロラブ」に寄らない、フラットな表現だと思う。

だからこそ異性愛以外の恋愛・性愛関係や、なんなら友情、家族愛にも読み解ける。つまりクィアリーディングが可能な歌詞だと思っていたのである。

 

ところがMVで各メンバーのソロカットほぼ全てに若い女性の姿が映し出され、がっかりしてしまったというのが正直なところ。楽曲が残した想像の余地を、MVが潰してしまっていると思う。

単純に作品としても、「わかりやすく」はなっているのかもしれないけど、彼らが見つめる先の対象をはっきり見せすぎていて、読み解きの面白さは消えてしまっているんじゃないかと思う。ちょっと言い過ぎかもしれないけど、それ以外の読み解きを認めない、受け手側の自由な想像を封じて、こちらの意図を間違えずに受け止めろという作り手の傲慢さすら感じる。

映像の質感、シチュエーションの美しさ、メンバーの演技、カットの繋ぎ方……などは流石のプロの仕事なので素晴らしく仕上がっているだけに、そこが惜しくて仕方ない。もっと凝り固まった頭ほぐしてやってくれよ〜〜。たとえば北斗の相手は猫ちゃんで良かったよ〜。

 

ラスト、どこかこの世のものとは思えない天空の大きな橋に、思い出に見切りをつけたような晴れやかな表情で集まるSixTONESメンバー6人。これから揃ってどこへ行くのか。もしかしたら彼らはもう……と想像させる終わり方は良かった。

しかしフォロワーさんたちも何人か言っていたけど、結局6人の男たちの絆が最後に残るなら、異性愛をやった意味は……?みたいな。お前ら結局6人で一緒にいるんかい、みたいな。そのラストがあるからこそ、余計に途中の「相手」の描写に納得がいかないんだよな。結局「女性」を記号的に登場させて「異性愛」であることの確認を行っただけに見えてしまった。そんなのよりもラストの楽しそうな6人のほうがよっぽど想いが強く、つながりが深そうに見えたので。しかしそれはほんとうに絆の強い6人なんだから仕方がないけど、女性たちの立場は……?ってなるじゃん、みたいな。だからやっぱあんなはっきりと見せない方が良かったって。

 

それはそれとして6人で天国への橋(きょもが最後に消えることを考えてもまあそういうことでしょ)を歩くSixTONES、切なすぎる。昨今ほかグループのあれこれとかも目にして、彼ら自身が「6人揃うこと」に誰よりも意味を感じている事実が奇跡みたいに思えている今。いつまで一緒に歩いてくれるかわからないけど、ふざけて「死ぬときも6人」なんて言うメンバーがいたりするけど、なんかその純粋なお互いを思う気持ちに、バカみたいにグッときちゃうな……。ラストでいきなりファン心理をブッ刺されて、そこはちょっとMV構成考えた人にお礼を言いたいなと思いました。

 

ところでもう一個、MV制作者にお礼を言いたいことがあって。それは、髙地優吾をこんなに格好良く撮ってくれてありがとうということ。

MV初見の時、まさかこんな姿を見せてくれるとは思ってなくてびっくりしてしまったんだけど、アンニュイでちょっとぶっきらぼうな髙地の横顔、バイク、海辺、ラフでちょっと無頓着な感じの服装……髙地優吾を推してる理由が詰まってるシチュエーションで、髙地担としては拝みたい気持ちになった。あと最近、ここ1年くらい、あからさまに髙地って表情の作り方がうまくなったよね。何が起きているんだ。

やっぱり変わらず沼アイドルなので推してて楽しいです。優しい表情の慎太郎のカットも良かったなあ〜。

 

やっと「ふたり」MVの感想を書いているうちに、ツアー日程が発表され、CMタイアップの新曲が発表されてしまいました。毎日目まぐるしすぎる。早く溜めてる『束の間の一花』も見ます……。