家族でディズニーシーに行ったらすごく救われた話
12歳のときに両親が離婚して、我が家は母と妹と私の3人家族になった。当然のように暮らしは貧しくなり、誕生日プレゼントは買ってもらえなくなったし、通学用のバスカードを買うお金をねだると母は苦い顔をするので、自然と何かをねだることはなくなっていった。
そんな暮らしの中で、母がたまにディズニーランドに連れて行ってくれることがあった。今大人になった自分の感覚で考えると、3人分のチケット代、食事、交通費…一体どれだけお金がかかるんだろうと気が遠くなる。さらに、口ばっかり達者で社会的には何の役にも立たない10代の子ども二人を連れて、混雑する園内を歩き回るのはきっと大変だっただろう。
それがあまり良い思い出ではなかったのか、天邪鬼な子どもだったのもあって、だんだん母にディズニーランドに誘われても断るようになってしまった。
それから大体10年くらい経った。学生時代、友人に誘われて訪れたディズニーランド・ディズニーシーが想像以上に楽しくて、私は東京ディズニーリゾートがそこそこ好きな大人になった。(今年の秋には初めての一人ディズニーシーにもチャレンジしているくらいだ)実家を出たことで母との距離も縮まり、妹も実家を出たことで家族は良好な関係が築けるようになった。
そこで誘ってみた。「私がチケット代を出すから、みんなでディズニーランドかディズニーシーに行こう」。
チケット代を出すと言ったのは、母の経済状況を考えてのこと。家族3人分のお金を出さなくてもよくなったとはいえ、子どもたちの養育期間を追えて父からの養育費は受け取れなくなり(全然ちゃんとは払ってなかったみたいだが)今まで住んでいた家も出ることになった。非正規雇用で働く体調を崩しがちな母は家族の中で一番お金がないだろう…ということは、私と妹の間では暗黙の了解だった。
母が希望したのはディズニーシーだった。これまでに2回行ったことがあるというが、その2回とも天候が悪く、あまりアトラクションに乗れず楽しめなかったそうだ。あまり行ったことがないから、できるだけたくさんアトラクションに乗ったり、ショーを見たり、キャラクターに会いたいんだそうだ。
妹は私と同じく友人と行き慣れているので「どっちでもいいよ」という感じだった。私も同じ意見だった。10月某日、母と妹と3人で雨が降ったりやんだりするディズニーシーに行ってきた。以下、覚え書き。
この頃の東京ディズニーリゾートはハロウィンイベント中だった。
アブーズ・バザールのゲームに3人でチャレンジした。誰も穴に入れられず。ピンバッジゲット。
代わる代わる記念写真を撮りあった場所。
新商品のチャイチュロスを食べてたら大雨に降られ、3人でパラソルの下に入って急いで食べた。
推しのアクスタと写真を撮る妹。
比較的最近できて混雑しているトイストーリーマニア!と、ソアリンファンタスティックフライトに乗れて良かった。ビッグバンドビートも見れた。
写真もたくさん撮った。
昼ごはん。母はあまりお腹が減らないようだった。
一番好きなアトラクション、インディ・ジョーンズに家族で乗れて嬉しかった。母も「面白かった」と喜んでいた。
「やっぱり食べてみたい」とのことで、スパイシーチキンレッグを。肉系が苦手な妹はパス。雨で椅子とテーブルがめちゃくちゃ濡れていて、キャストさんがそれを拭き掃除するのが大変そうだった。
ドナルドと写真も撮れた。コミュニケーション能力が高すぎるドナルドに萎縮する3人。
夜のマーメイドラグーンでチョコレートジュースを飲んで、アトラクションに乗ったりアリエルのプレイグラウンドを探検するのが楽しかった。2枚の布?の間をバウンドする遊びも恥ずかしがらずにみんなやる。母はとても楽しそうだった。
最後にみんなでマイクメロンパンを買って、花火を見てから帰った。
この日のことを思い出すと、すごく楽しくて嬉しい気持ちで胸がいっぱいになって、ちょっとだけ切ない気持ちにもなる。
貧しくて心の余裕もなくてギクシャクしたまま過ごしてしまった家族の空白を埋めるような時間だったからだ。今なら母のことを思いやることができるし、必要なお金を払うこともできるし、案内したり調べたり、とにかく大人としてその時間が良いものになるような工夫ができるようになった。
母に対する申し訳ない気持ちや後悔と、一方で苦しい10代を過ごしたことの恨みの両方が癒されていくような気がした。最近家族で集まると、いつもこういう気持ちになる。これは一種のケアだ。家族3人で今さらケアし合っている。あの頃の自分や相手を慰めている。それができるだけ、私たちは恵まれていると思う。
別にこれを最初で最後のリベンジ家族ディズニーにする必要はなくて、また来年にでも2人を誘っていきたい。子ども2人と大人1人よりも、今の方がもっとずっといろんなことが一緒にできる。一緒に暮らした20年よりも、もっと濃くて楽しい20年が過ごせるはずだ。
それを思うと、また私の心の空白が少し埋まるような気がするのである。